体感文法講座の結果出力 その7

 今回の課題は、師匠の鈴木健が週刊プロレスに在籍していた頃に書いたコラムの感想を書くというもの。村上春樹が2009年2月21日のイスラエルの文学賞「エルサレム賞」受賞式においておこなったスピーチを読んで、プロレスを小説論をフィルターにかけて書いたコラムがその内容。なおこのスピーチの「壁と卵」の部分は有名であり村上春樹が小説について自身の思いを語った貴重なものである。
 検索をかければいくらでも出てくるが自分がこのコラムの感想文を書くという課題を行うにあたって参考にしたサイトへのリンクを貼っておくので興味あるかたは是非読んでみてほしい。

 ここに載せるのはあくまでも感想文なので、私の主観が入っていることをご承知いただいた上でお読みいただきたい。

嘘と抜け道
石附 貴志

 イスラエルでおこなわれた文学賞
「エルサレム賞」受賞式に村上春樹
が出席したときのスピーチに関する
文章を読んだ。
その中で語られる「壁と卵」の比
喩。卵は広く村上氏を含む我々人間
を指し、壁は政治など「システム」
を示す。
多かれ少なかれ我々はそれぞれ、
一個の卵なのだと考えた。つまり人
間を指すから、その側に立たない小
説に何の意味があるのかと村上氏は
訴えた。
そして小説を書く意味を「個人の
魂の尊厳を外側に持ってきて、光を
当てる」とし、物語の目的を「警鐘
を鳴らし、システムがその網の中に
私たちの魂を絡めとり、損なうこと
のないように、システムに光を照射
し続ける」と語った。
小説家の仕事とは「物語−−生と死
の物語、愛の物語、人をして涙させ、
恐怖で震わせ、可笑しみでクツクツ
と笑わせるような物語−−を書くこと
によって、それぞれの魂の唯一性を
明確なものにしようと挑戦し続ける
ことである」とし、真剣にフィクシ
ョンを生み出している理由だと語っ
た。
しかし、スピーチの冒頭で村上氏
は「嘘の紡ぎ手」と表現し、嘘をつ
いても許される存在、それが小説家
なのだとも説いた。
小説を含むエンターテインメント
の世界は真実と嘘、リアルとファン
タジーの間で動いている。プロレス
はまさにそうで、ドキュメントとフ
ァンタジーの間を行き来する特殊な
ジャンルである。
その中で痛さや感情、演劇的なフ
ァンタジーの要素でフィクションを
形成するものがプロレスだと思うの
だ。
昨年、世羅りさがおこなった一連
のデスマッチがまさにそれを象徴す
るものだと思った。そこに至るスト
ーリー、人毛の気持ち悪さ、60分間
闘いつづけ、その中で登場する栗の
トゲの痛さがそうだ。
成宮真希というパートナーを失っ
て辛いものは辛い、痛いものは痛い、
気持ち悪いものは気持ち悪いという
リアルと、デスマッチという非日常
のファンタジーの間をまさに行き来
する異様な空間であり、時間だった。
エンターテインメントにおいて「
嘘」が許されるのは、それが「道化」
だからである。だからファンタジー
が成り立ち、逃げ場ができるのだ。
すべてがリアルだ、真実だでは息
が詰まってしまう。時にはついてい
い嘘もあるのだ。それがエンターテ
インメントにおいてのものだと言え
るだろう。
すべてが嘘だと言っているわけで
はない。リアルと相反関係で成り立
つ。それがあるからできるものなの
だと思うのだ。
文章を書く上で真実を追い続ける
ノンフィクションライターもいるだ
ろう。小説を含むフィクションはす
べてが真実のみで構成されるわけで
はない。抜け道があるところで楽し
さが生じると思う。
そこで使える言葉が「リアリティ」
だと思う。ファンタジーや演劇的手
法を用いているエンターテインメン
トにおいては、それが真実に相当す
る部分なのではないか?
そこが嘘と言いつつもエンターテ
インメントの本質なのだと思う。村
上春樹の言う「嘘」はそうなのだと
考えさせられた。一言で言い表せな
い、その言葉にひかれた一文だった。

(16文字x84行)

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